ルサンチマン日記

ルサンチマンプログラマーの心の叫び/オナ禁

承認欲求と性欲について思ったこと

こんにちは、睦月隆です。

日中、ふと考えたのだが、承認欲求と性欲ってどっちが重要なのだろうか、と。

個人的には、どっちも譲れないというか、どっちも必要なものであるのは確かである。


だが、承認欲求と性欲をどちらか選択しろ、ってことになったらどちらを選ぶのかとかを、今まで考えたことがなかった。
でも、いきなり気づいたというか解ったことがあった。


結論からいうと、承認欲求の方が、性欲より優先度が高いのではないかということ。
ちなみに、これはボク個人が感じていることであって、科学的に裏付けられた理屈もないし、一般の人もどうなっているかも分からない。


ただ、なぜ承認欲求が性欲より優先されるかというと、ボク自身が、承認欲求を不足している時は性欲が不足する感覚を覚えたことがないからだ。
そして、承認欲求が満たさせているときでないと、性欲が不足しているという感覚はなかった。


例えば、ボクは人からいじめられたこともあるし、いじめたこともある。
それで、いじめられたときって、承認欲求が不足していると感じている時だ、とボクは思っている。


そんなときは、性欲が不足するという感覚があったという記憶がなかったな、と気づいたのだ。
それに、いじめられている人は、異性との関係もうまくいっているのをボクは見たことがない。

それは、性欲より承認欲求を優先させるがために、性欲をおろそかにしていることが考えられる。


そして、多分、ボクと同じように承認欲求が不足している人は、性欲が不足しいている感覚が少ないのではないのではないかと思っている。

なぜかというと、人間だから心配事を複数同時に考えられないようになっている。


そして、承認欲求が不足しているのは、自分の存在そのものが認められないことなので、性欲などに関わっていられない、と本能的に判断されているのではないかと思うからだ。


ただ、世の中には承認欲求に対して無頓着で、性欲を優先にする人はいてもおかしくないと思う。でも、ボクは今までそのような人は見たことがない。


ちなみに、世の中の承認欲求が満たさせていて、性欲も満たさせている人たちは、リア充と呼ばれている人たち。


それで、承認欲求は満たされているが、性欲が満たされていない人たちは、オタクと呼ばれている人たち。


なお、このオタクといわれている人たちは、性欲を満たせないし、他人からの承認欲求も満たされてないから、自分自身で承認することにより承認欲求を満たすしかない。


だから、オタクが執着する物事の追求は凄まじいのでは、ないのかと考えていた、この頃なのでした。

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